5月3日午前9時に注文した人形が届きました。思ったより立派で、ジィジィのメンツも保てました。
皐月組 暁をお買い求めいただいたお客様のお喜びのメールが昨日届きました。お孫様の節句に間に合い何よりでした。おめでとうございます。
4月26日は久しぶり催事となります。紅型で有名な栗山工房様の麻帯 竹糸九寸帯 バックが届きます。
麻帯
大麻帯とよんでおります。
この大麻は、あの大麻帯です。薬物の大麻です。
この大麻は、昔は、日本に自生し、親しまれる植物でした。鼻緒の緒、神社のしめ縄、お盆の時に炊き上げる おがらすべて大麻です。
世界大戦で日本は負け、アメリカが日本に入ってきたために この大麻に麻薬成分があることを知り、禁止になっていますした。 ですので、この生地は、日本で生産することは、ほとんどできません。海外の機織りの現場へ行き、特別に織って頂いております。もちろん手織りです。
この麻は、通気性の良さはもちろんのこと、つかう程にしなやかになる風合いが素晴らしいです。
また、使用時期も単衣と盛夏の2シーズンお使いいたたげます。
竹糸九寸帯
こちらは、縦糸は、絹、緯糸に竹糸を使用しております。
絹の艶と、丈夫さがありながら、竹のさらっとして通気性の良さは使い心地よいです。
私も使いましたが、しなやかな張りがあるので、太鼓の形も美しく整います。
こちらは、単衣と袷の季節にお使いください。
バッグ
こちらは、西陣の帯の生地を使い、バッグの為だけに染めております。
帯1本分で4個しか作ることができません。
また、バックの加工も京都のバッグメーカーにお願いしておりますので
縫製も間違いないです。
ただ、布製品ですので、よかったら、防水スプレーをふきかけてから
お使い頂くと、より長持ちすると思います。
非常に軽く、たくさん入り、口も大きく開きます。
是非、みなさんに持って頂きたいお勧めの商品です
こちらは、繊糸は、絹、緯糸を使用しております。
今回は、その他竺仙さんの半幅帯、染め帯、浴衣 ヤフー期間限定商品、新助上布等夏物の珍しい商品をお見せすることができます。
扇子(せんす)とは、うちわと同じく自分の手で風を送るのに用いる道具。ただし古くは扇(おうぎ)と呼ぶのが普通であった。「おうぎ」という言葉は「あふぐ」(扇ぐ)の派生形の「あふぎ」であるが、日本語の変化により関連がわかりにくくなった。
扇子を開く角度は、大体90度から180度の間であり、円を三等分した中心角120度前後のものが主流である。扇子を開いた形は、「扇形(おうぎがた、せんけい)」と言い、幾何学の用語にもなっている。このような扇子の形状は、「末広がり」に通ずるので縁起のよいものとされてきた。そのため、めでたい席での引出物としても用いられている。
骨の材質は、一般的には竹製または木製の物が多く、先端部ほど薄く細くなるテーパ構造になっている。大抵の扇子の骨は細長く、折り畳んだ和紙を張って開くと段になるように展開する。骨組みのうち一番外側の部分(親骨)はとくに太く、内側の骨とは逆に先端部ほど太くなっている。親骨に装飾として漆塗りや蒔絵などの細工が施されているものもある。また象牙、鼈甲なども骨の素材とすることがあるが、これはもっぱら洋扇で使われる。
なお白檀などの香木を平たく削ったものを重ねて作られる扇子があるが、この形式の扇子はすたれ気味であり、紙を貼ったものが主流である。
あおぐ時に風を送る部位。骨が完全に開ききらないように固定する働きもある。伝統的な扇子では和紙を張るが、合成繊維や布を貼ったものもある。この扇面に絵を描く必要から、湾曲した形状(いわゆる扇形)の紙に描く、扇絵と呼ばれる日本画の形式が発展した。この扇絵を得意としたのが、俵屋宗達であるといわれている。
かなめ。扇を開く際に根本で止めるもの。扇子の要は、金属やプラスチック、鯨ひげなどで骨を束ねている。この部位が壊れると扇子としての用をなさなくなるため、最も重要な部分である。ここから、「肝心要」の語源となった。
なお、野球で球場を扇に喩えて要に位置し、守備陣の要所となることから捕手を指して扇の要と呼ぶことがある。
せめ。扇を止める帯状の輪。
「扇」という漢字は本来軽い扉のことを意味し、そこから転じてうちわのことを言うようになった。うちわは紀元前の中国で用いられたという記録がある。また古代エジプトの壁画にも、王の脇に巨大な羽根うちわを掲げた従者が侍っている図があり[1]、日本では利田遺跡(佐賀県)において、うちわの柄が出土した例がある[2]。このようにうちわは文明発祥時から存在するが、木の薄板を重ねたり、また紙を折りたたんで製作する扇は日本で発明されたものである[3]。
最初に現れた扇は30cmほどの長さに2~3cm幅の薄い檜の板を重ねて作る檜扇と呼ばれるもので、これは奈良時代から平安時代の初期にかけて世に現れたといわれる。紙は貼られておらず、その起りは一説には木簡を束ね一方の端に穴を開け、そこに紐などを通して縛ったものだという。また檜扇のそもそもの用途は開いて煽ぐものではなく、メモ帳として物を書きつけるものであった。のちに檜扇は冬の季節の扇とされた(詳しくは檜扇の項参照)。
その後平安時代の中頃までに、5本または6本の細い骨に紙を貼った蝙蝠扇(かはほりあふぎ)が夏の扇として現れる。これが現在一般に見られる扇の原型であるが、このころの紙貼りの扇は扇面の裏側に骨が露出する形式であった。平安時代には扇はあおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられた。具体的には和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったりしたことが、源氏物語など、多くの文学作品や歴史書に書かれている。このように扇は涼をとったりもてあそび物にされる一方で、時代が下るにつれ儀礼の道具としても重んじられ、公家や武家また一般庶民の別なく、日常や冠婚葬祭での持ち物のひとつとされた。
ほかには、宮中において2組に分かれて扇を持ち合い、その描かれた絵画や材質の優劣を競い合う扇合せという行事が円融天皇の天禄4年(973年)に行われたという記録がある。また近世には毎月一日、天皇が三種の神器が安置されている内侍所へ参拝する時の持ち物として、御月扇と称して月毎に末広の扇が絵所より新調されたが、そのほかに表面に古代中国の賢聖、裏面に金銀砂子に草花を描いた賢聖御末広という末広が献上されることもあった。
日本の扇はコンパクトに折り畳めるという利点が高く評価され、中国大陸には北宋の時代に、またその中国を経てヨーロッパにも輸出された。
ほかには、沖縄では扇面にヤシ科のビロウ(クバ)の葉を使ったクバ扇(くばおーじ)というものがある。
日本の家紋の意匠としても用いられ、摺り畳扇を図案化した扇紋(おうぎもん)と板扇を図案化した檜扇紋(ひおうぎもん)がある[4]。扇紋には「五本骨扇」などの骨の数によって表されるものや、より写実的な図案の「雁木扇」や反り返りの付けられた「反り扇」、また、扇の部位を用いた「扇骨(おうぎぼね)」や「地紙(じがみ)」といったものもある。佐竹氏の「佐竹扇」、島原藩の「島原扇」や浅野氏の「浅野扇」などがあり、高崎藩や三遊亭の紋である「高崎扇(三つ雁木扇)」は小説などにも出てくる。檜扇紋では、「山崎扇」や「秋田扇」などがある。
夏の着物は、着手はもちろんのこと見た目にも涼しくありたいものです。
暑い夏に涼しく肌触りの良い麻をはじめとして、絹や紬でも織りかたを工夫し、夏向きにした着物地がたくさんあります。
私は、夏は、麻の襦袢に麻もしくわ綿麻の着物をよくきます。家で洗えるのが魅力的です。
夏の生地としてもっとも人気のある絽。
長襦袢をはじめとして、留袖、訪問着、付け下げから、喪服や色無地、小紋など幅広く用いられています。和装小物の帯揚げにも見かけることができます。
絽は、平織りにすきまをつくった、もじり織りの一種です。薄地で軽量、すきまが多く通気性が良い生地で、絽目の通っている方向によって経絽(たてろ)と緯絽(よころ)とよばれることがあります。
経(たて)緯(よこ)がシンプルに交差したもじり織りです。
少々乱暴ですが、わかりやすく表現すると網の目のような織です。
地模様を織った紋紗(もんしゃ)、二重織りの風通紗(ふうつうしゃ)、節があり紬風の粋紗(きっしゃ)などの種類があります。
羅は、紗を複雑にしたもじり織りです。見た目でも涼しさを感じることのできる織物です。
紗をさらに目を荒くしたような織物で、ざっくりした見た目で手編みのような風合いがします。
縮は、麻糸に強い撚(よ)りをかけて織物にし、その後湯もみをすると、シワのようなしぼが布表面に表れる織物を麻縮といいます。
新潟県の越後縮(えちごちぢみ)、小千谷縮(おじやちぢみ)、石川県の能登縮(のとちぢみ)などの産地があります。
また縮は、しじらともよばれます。
上布は、新潟県の越後上布、石川県の能登上布、滋賀県の近江上布、沖縄県の宮古上布などの産地があります。
細い麻糸で織られた上質の麻織物で、着物通には高級品として知られています。